プロフィール

 

蒼乃 勇信(あおの ゆうしん)

 

【ご挨拶】

こんには。心理カウンセラー蒼乃勇信です。

 

本日はHPをご覧いただき、

ありがとうございます。

 

私は内向型HSP、アダルトチルドレン等で

苦しむ人たちが、

自分の資質を理解し活かせるようになることで

最高の自分になるお手伝いをしています。

 

そして、その時に必ず邪魔になるのは

これまでの人生の中で出来上がった「信念」や

「ビリーフ」と言われるものです。

 

私はカウンセリングとヒプノセラピーを

組み合わせたセッションにより、

皆さんを優しく癒しながらも、しっかりと

信念やビリーフを書き換える手法をご用意

しています。

 

まずは、簡単に自己紹介を

させていただきます。

 

後半に詳しいプロフィールを

掲載していますので、

お時間のある方は是非ご一読いただければ幸いです。

 

◆経歴・実績

・自分自身が内向型で人前で話すことに苦手意識を持ち、職場で自分の意見が言えない
 等の悩みを抱える中、心理学を学び始める。
 現在では10人超の会議でファシリテーション、数十名規模の勉強会で講師を務める等
 の効果を挙げる。
・人間関係に疲れた人から「話すと癒される」と言って頂くことが多く、業務の傍ら
 延べ30人以上のリーダーや同僚に200時間以上のカウンセリングを提供し癒しを与え
 てきた。
・大手損保会社で事故対応部門勤務。  
 これまで延べ1万件以上の事故解決に携わる中、多数の契約者、被害者に信頼され
 円満な示談を実現してきた。(経済効果にして推定20億円超)
・自身の強みを活かすことで職場での閉塞感を克服した。  
 職場の社員の課題発見と解決支援が得意で、今期フォローした社員はNPS(顧客推奨度)
 で90を超える等実績を残した。


◆この仕事をはじめたきっかけ
・昔から内向的な性格で人間関係に傷つくことが多かった。
・学生時代友人の1人から「キショい」と言われたことがきっかけで、すれ違う人や
 周囲で話す人の声が全て悪口に聞こえて人が怖くなる。
・複数人の飲み会等で空気と化すため「いたの?」と言われて傷つく。
・複数人で話していると、声が小さいのを馬鹿にされることも多かった。
・自分を変えたいと思い空手を始め、自己啓発本を読み漁る等するも性格は変わらず、
 自然と社交的に振舞える人を見る度に「自分には欠陥がある」と劣等感を強めた。

・また、人前で話すのが苦手なため、会議で考えがあっても言えない、
 話す順番が近づくと手足が震え、時にはしゃべれなくなる等の症状に悩まされる。

・一時期、営業部門へ配属された際は、取引先を訪問しても上手く話しが続かず
「地蔵」とあだ名される。社内で大勢の前で叱責され、まっすぐ帰宅して家族の顔を
 みることができず、公園で涙を乾かして帰る日が続いた。
・その後、元の部門へ戻るも主要業務から遠ざかり悶々とした状態から抜け出せない
 日々を過ごす。

・しかし、職場で自信を失う中、一部の人は自分に相談してきてくれることに気付く。
・また、示談交渉業務では自分の性格が信頼を得るのに活かされていることに気付く。
・その経験から、社交的な人間よりも「自分がなれる最高の自分」を目指すことが
 重要だと考え始め、内向型の強みを活かすことに目覚めた。
・そして、上司に強みを共有し、自分の得意分野で自分を表現することができるように
 なった。
・また、心理学を学び、その手法を実践する中で、人前で話すことに対する負担感が軽減
 し、本来の知識や経験を活かして話をすることが可能となり、周囲の人に対しても愛情
 をもって接することができるようになった。
・更にヒプノセラピーを学び、カウンセリングとヒプノセラピーを融合した独自のメソッド
 を確立する。
・現在、職場に自分の独自のポジションを築き、閉塞感を克服することに成功している。
・大きなきっかけを与えてくれたのは心理学だった。
・成長を求める人や自分に自信が持てない人達が心理学の力で自身の本質に気付き、
 自分らしく成長していけるきっかけを提供したいと思い至る。
・自分を出せず居場所を失っている人達が本来の自分の良さを活かし、自分なりの働き方や
 生き方で居場所をつくることで「朝目覚めるのが楽しみで仕方ない」世界を提供したい。

◆好きな言葉
「情熱」「本質」「成長」「信頼」「平穏」

◆ビジョン
 心理学を身近にすることにより、日本のビジネスマンや主婦が
「自分がなれる最高の自分」に向かって邁進できる世界を提供する。

 

詳しいプロフィールはこちら

 

【母親に甘えることができず、家族の中にいても1人で過ごす幼少期】

私はごく普通の家庭の次男として
生まれました。

両親と一歳上の兄、
5歳下の妹と5人家族です。

お金持ちではありませんが、
両親からは愛情をもって育てられた
と思います。

しかし、この頃の私の思い出は
「我慢」の気持ちでいっぱいです。

なぜかと言うと、
私の家庭環境に理由があります。

私は小さい頃から、なぜか母に甘えたり
気軽に話しかけることができなかったのです。

多くの男の子がそうである様に、
兄は母親にべったりで、
いつもくっつき回って喋っていました。

その一方で、私は家の中でも1人距離を
置いて、いつも1人でテレビを見たり、
おもちゃで遊んでいるような子供でした。

これは祖母から聞いた話ですが、
当時は、
「抱っこすると抱き癖がつくから
 むやみに抱かない方が良い。」
という育児方法が流行っていたらしく、
私は授乳時以外は抱っこしてもらうこと
ができなかったそうです。

もしかしたら、そんなことが原因で、
私は母と上手く愛着を形成することが
できなかったのかも知れません。

【兄からの虐め・子供らしい感情を押し殺した毎日】

そんな私でしたが、兄から
毎日虐めを受けていました。

私から突っかかるということはなく、
いつも一方的に殴られたり罵られたり
といった感じです。

または、お小遣いを貰い始めると
「一緒にゲームを買うぞ」
と言ってお金だけ巻き上げられたり、

「お茶を淹れてこい」
とこき使われたりといったことが
日常的でした。

「何で自分ばかり、こんなに
 我慢しないといけないんだ」

そう思いながらも、
物心つく前から力でねじ伏せられ、
空手もやっていた兄に反抗することは
当時の私にはできませんでした。

兄が怒り出せば、ただひたすら
嵐が過ぎるのを待つしかありません。

そんな状態だったため、
兄に生意気を言うことはもちろんですが
「嬉しい」「楽しい」といった
感情も自然に出すことができませんでした。

こうして、私は親にも両親にも、
子供らしい感情を出すことができずに
育ちます。

今思えば、
自分の思ったことを口に出し、
受け入れてもらうという経験が
乏しかったことが
私の自己肯定感の低さに繋がっていた
のかも知れません。

【友達に嫌われているんじゃないかと不安を感じて、周りの目を気にする】

小学校に入学した私は
仲の良い友達が2人できました。

快活な友達といると疲れてしまう
のですが、彼らは波長が合い、
一緒にいて楽しかったので、
学校から帰ると毎日遊んでいました。

彼らの前では、
私はわりとひょうきんに
振る舞うことができ、
当時流行っていたアニメの真似を
して笑わせたりすることが好きでした。

しかし、ある頃から、
何となく彼らが喜んでいない様に
感じられるようになったのです。

それは単に疲れていただけかも
知れませんが、私は何となく
呆れられている様に感じられ、
「嫌われているんじゃないか」
と不安になってしまいます。

そんな折、大嫌いだった兄から
「◯◯と△△がお前のこと、
 馬鹿なことばっかり言うから
 嫌やねん、って言ってたぞ」
と聞かされます。

当時の兄のことなので、
単なる嫌がらせかも知れませんし、
本人達には確認していないので
本当のことかどうかは分かりません。

しかし、私はこのことがあって、
友達の顔色をすごく気にするように
なってしまいます。

【「自分は人に受け入れてもらえないんだ」と感じ引き篭もりがちとなる】

この頃、もう一つショックな
出来事がありました。

小学校3年生になって
若い男性の先生が担任になります。

先生は休み時間になると
皆んなとバスケをして遊んだりして、
すぐに校内の人気者になりました。

私も仲良くなりたいと思い、
友達といたずらをしてみよう
という話になり、
思い切って当時流行っていた
カンチョーをしてみました。

私は先生が笑いながら許してくれると
予想していたのですが、
予想外に本気で怒ってしまったのです。

「誰や、今カンチョーした奴!
 出てこい!」
と野太い声で言われ、恐る恐る
出て行った私は、
先生から頭を叩かれ激怒されます。

仲良くなりたい一心でのいたずら
でしたが、思いの他、怒られてしまい、
「自分は受け入れてもらえないんだ」
という信念を固めてしまう
ことになります。

そして、
「勉強もできないし、人からも
 受け入れてもらえない、
 自分は本当にダメな人間だ」
と思いながら小学校卒業を迎えることとなります。

【勉強も部活も友達関係も何をやっても上手くいく・周りからチヤホヤされて浮かれていた日々】

中学に入ると環境が一変します。

実は私が嫌いだった兄はイケメンで
面白く、上級生、下級生問わず人気者
でした。

しっかり者でもあったので体育委員、
体育会長なども務め、
先生からも一目置かれていました。

そんな兄の弟が入学してくる
ということで、入学初日から
騒がれることになるのです。

不良生徒からも可愛がってもらい、
クラスの人気投票でなぜか1位になる等、
世界が一変します。

そして、中学時代
「自分はダメな人間だ」
と思っていた私は
「まともになりたい」一心から、
まず勉強に精を出します。

すると学年で5位内に
入ることができ、
劣等生だった小学校時代と違い、
「優等生」として認識される
ようになります。

また、部活でも入部してすぐ
同級生にはもちろん、
上級生にも勝てる様になり、
周りから大きな期待を
寄せられる様になりました。

この頃は何か目に見えないもので
動かされているかの様に、
何をやっても上手くいきました。

【一転して冬の時代へ・友達の会話に入れず休み時間の度に居場所を探す日々】

しかし、この状況は長くは
続きません。

兄の人気によってチヤホヤされて、
最初こそ周りも私のキャラクターを
面白がって弄ってくれましたが、
1年もすると飽きてしまいます。

そうすると、
あることに気付かされます。

私は周りの友達が輪になって
喋っている中に
入ることができないのです。

これまでは周りが勝手に
弄ってくれたので、
考える必要がなかったのですが、
周りが弄ってくれないと
途端に空気の様な存在になるのです。

そして、それまでチヤホヤして
くれた友達から
「そんなとこで突っ立って
 何しとんねん?」
と意地悪なことを言われ、
ごまかし笑いを浮かべることしか
できませんでした。

それから、休み時間の度に
自分の居場所を探し回る
ということが課題となりました。

周りの友達の様に自然に
友達の輪に入り、
会話を楽しむと言うことが
できない自分に
危機感を感じる様になります。

【友達の機嫌に振りまわされる毎日】

また、居場所が少なかった私は、
仲の良かった友達に見捨てられるのが
怖くて、
顔色ばかりを伺う様になります。

当時仲が良かった友達は
物事をはっきりと言うタイプで、
学級委員長をしている割に、
先生に対しても喰ってかかる様な
生徒でした。

お洒落でもあり、面白く、
交友関係も広いので、
周りから一目置かれています。

私に無いものをたくさん持っていて、
どちらかと言えば兄貴分的な友達でした。

ただ、年齢的なものもあり、
気分にムラがあり、時々辛辣なことを
言われたり軽く扱われたりすることが
ありました。

そんな時、私は悲しい気持ちに
なりながらも、ごまかし笑いを
浮かべることしかできず、
自分が惨めに感じてしまうことが
多々ありました。

【自分は生き物として劣っている」外向的な友達に憧れて自己否定を繰り返す日々】

そんなことに悩んでいると、
あることに気付かされます。

いつも会話の中心にいる同級生達は、
休み時間だけでなく体育の授業中でも、
クラスの中で何かを決めるときでも
自分の意見を言って周りを動かしていきます。

しかも、話していて面白くて、
周りに人が集まってきます。

私は勉強こそ彼らよりできるものの、
彼らの様に機転が利かず、
人を動かしていくことなど
到底できない様に思えました。

そして、彼らの顔色を伺って
ビクビクしながら付き従っていく
状態を俯瞰して見ていると
「自分はそもそも
 生き物として劣っている存在」
「欠陥のある存在」
だと思うようになります。

【「自分は劣った存在」に逆らい、部活に勉強に励む日々】

高校へ入学した私は、
そんな自分を変えたいと
思っていました。

いわゆる「高校デビュー」を
狙いますが、
入学早々から躓いてしまいます。

自然な感じで、イケてるグループとは
選り分けられてしまい、
大人しいグループに所属します。

ここでも、やはりイケてるグループ
からは自然と弾かれている自分に
少し悲しさを覚えます。

それでも「自分は劣った存在」という、
自分の中で湧いてくる思いに
逆らう様にして、私は勉強に部活に
より一層精を出します。

そして勉強では学年でトップとなり、
厳しいことで有名な先生からも
「蒼乃君を見習いなさい」
と授業中にことあるごとに言われる様に
なりました。

それによって学内では
ちょっとした有名人になります。

また、部活に関しては、
中学よりも少しでも
外向的な人が集まる環境に
飛び込んでしまおうと考え
陸上部に入部しました。

中学の卓球部とは比べ物にならない程、
練習はハードでしたが、
自分が成長している感じがあり、

充実した日々を送っていました。

【外向的な友達と合わせることに疲弊する毎日】

この頃一緒にいた友人は
主に陸上部の仲間でした。

彼らは快活で、
内向的な私からすると
刺激の強い環境でした。

とにかく会話のテンポが早いですし、
一見すると攻撃かと思える様な
コミュニケーションをとります。

一歩対応を間違えると
マウントを取られて、
「下手をすると虐められるんじゃないか」
という不安から、
私は常に会話に反応できる様に
頭をフル回転させなければ
なりませんでした。

また、家に遊びに行って漫画を読んで
落ち着いていたりすると、
「バスケしに行こうか」
「〇〇も呼んで遊ぼうか」
等と次々と違うことを
しなければつまらない様です。

私としては外向的な人の多い環境に
身を置いて自分を変えていくという
目的もあったのですが、
それでもやはり家に帰ると
刺激の多さと強さにどっと疲れてしまう
ようになります。

【友人からの「キモい」の言葉に人が怖くなり、更に人目を気にする】

そんな努力も虚しくなる
出来事が起きます。

一部の友人からという言葉を
かけられる様になってしまうのです。

私は、おそらく普通にしていれば
目立たない生徒だったはずですが、
勉強ができたことが有名人になっていました。

小テストがある時や受験前などは
休み時間もずっと勉強している様な
生徒だったので、
もしかしたらそんな姿に対して
言われたのかも知れません。

もしくは、内向的で
人目を気にしがちな私の
全体的な雰囲気が
そう捉えられたのかも知れません。

初めて耳にした時は、
ショックでフリーズして
周りがグルングルン回っている様な
感覚に襲われました。

それからというもの、
廊下で2、3人のグループと
すれ違う時や、
2、3人のグループが座っている横を
通り過ぎる時など、
度々「きもっ」「きしょっ」と
耳に入ってくる様になります。

そして、
「やっぱり自分はダメな人間なんだ」
という思いを強めていくこととなります。

【「普通」になりたくてお洒落や自己啓発に取り組むも、そんな自分が余計に虚しくなる】

私は何とか周りと同じ様に
「普通」
になりたいと願いました。

そして、まずお洒落に
力をいれてみます。

当時両親が離婚して
母子家庭だった私は
お小遣いというものは
ありませんでした。

なのでお年玉をもらうと、
すぐに洋服を買いに出かけました。

中学時代に仲の良かった友達が
お洒落に詳しかったため、
一緒に買い物に連れていってもらう等
良い服を買うのですが、
当時の私の雰囲気のせいか、
何を着てもあまりしっくりときません。

そして、また「きもい」と言われると、
そういった努力をしているだけに
尚更悲しくなってくるのでした。

また、周りの会話に
ついていくために
「頭の回転を早くしなければならない」
と思い、
「頭が良くなる」系の本を見つける度に
読んだりしました。

雑誌に広告が載っている
怪しげな商品にも
手を出そうとしたこともあります。

しかし、思う様な効果も、
そもそも具体的な方法も分からず、
途方に暮れるばかりで
本ばかりが増えていきます。

【内向的な自分を克服するため、思い切って空手を始める】

大学に入学すると更に
荒療治を試みます。

当時、私が内向的になったのは、
元を正せば、
小さい頃に兄に虐められたことが
原因だと考えていました。

そうであれば、
逆に自分が強くなれば、
この性格を克服できると思ったのです。

そして、様々な部活や
サークルがある中で、
私は空手道部へ
入部することを決めます。

そこに入部してくる学生は、
もちろん私とは真逆の
快活な学生がほとんどでした。

新入生は飲み会の度に
一発芸を披露しなければならない等、
私にとって非常に苦しい環境でしたが、
「社会にでる前に自分を
 変える最後のチャンスだ」
と思い、歯を食いしばって耐えました。

それによって、ある程度、
外向的な環境に対する耐性が
ついたことは間違いありません。

しかし、それはあくまで
「耐性」
でしかないことを
思い知らされることになります。

【またも会話に入れず、新入生の勧誘活動で戦力外通告を受ける】

2年目になると
新入生が入学するタイミングで
勧誘活動を行います。

これは新入生にチラシを配りながら
声をかけていって、
お茶会や食事会に呼び、
楽しませることで入部希望者を増やす
という活動でした。

私はこれまでの自分とは真逆の環境で
1年間頑張ってきたという
自信はあったのですが、
ここでまた躓くこととなります。

新入生を呼んでのお茶会や食事会で、
やはり会話に入っていけないのです。

外向的な環境に耐えることができても、
自分から話に入っていくという
能動的な動きはできないという事実を
突きつけられることになるのです。

それならばと、
1体1での会話で頑張ろうと
するのですが、1体1であれば
それなりに会話は続けることは
できました。

しかし、落ち着いたトーンでの
会話になってしまい、
盛り上がりには欠けるのです。

そして、それを見た上級生から呼ばれ
「もっと喋れ!でなければ〇〇と席を
 代われ!」と凄まれます。

そのまま諦めるのも悔しかったため、
もう一度挑戦しましたが、
やはり盛り上がるには至らず、
先輩からの無言の合図により
席替えをすることになりました。

そして、ここから私は戦力外として、
チラシ配りなどの作業に終始することとなるのです。

結局、耐性がついただけで、
人が複数人いる中で会話に
入っていこうとしても
会話についていくことが
できないという課題を残し、
私は大学生活を終えて社会人になります。

【周りから都合良く利用される「良い人」】

コミュニケーションに
自信がなかった私は損害保険会社
に入社し、
保険金支払い部門に配属されます。

営業部門はできるだけ
避けたかったのです。

そして、
自動車保険の事故対応を行うことを
主な業務とする部署で勤務を始めます。

いわゆる総合職で入社した私は、
2年目にもなると先輩の
女性一般職から頼られる様になります。

頼ってもらえることが嬉しかった私は
それに応えようと頑張りましたが、
そんな私を利用する人達も一定いました。

本来であれば、
一般職から案件を引き上げる
立場の社員達が、
何かと理由をつけては
私に業務を押し付けてくる様になります。

私は若手でしたし、
総合職だから責任もありますし、
何より自己主張しなかったため、
彼らからは格好の的だった様です。

中には嫌な相手がいると
敢えて強い物言いをして
苦情にしてしまい
「担当を代われと言われました」
と私のところに持ってくる人もいました。

一般職の人達も私に相談すると
「引き上げてもらえる」という感じで、
他に相談すべき人がいても
私に相談してくるようになります。

ただし、一部のよく仕事ができる人は
私に相談してきません。

そういった人は頼りない私ではなく、
経験のある先輩に相談します。

つまり、私は仕事を押し付けたい人達の
専用窓口の様になっていたのです。

流石に理不尽を感じていましたが、
「断ったら角がたつかな・・・」
と考えてしまい、
つい良い人になろうと引き受けてしまいます。

そして、すぐに案件が滞留し、
土日も含めて夜遅くまで仕事をしても、
全く仕事が回らない状態となります。

4年目に赴任してきた課長からは、
そんな私をみて
「糞尿処理センター」
というあだ名をつけられてしまいます。

【温厚な課長から、なぜか自分だけが針の筵となり緊張と不安に苛まれ、周りから軽く扱われる】

5年目になり、大阪へ
初めての異動を経験します。

課長は温厚な雰囲気で、
誰が何を言っても
笑って許すような感じの人でした。

しかし、私のオドオドした態度に
どうもイラついたらしく、
段々と態度が強くなってきます。

そして、事あるごとにデスクに呼ばれ、
1人だけ針の筵の様に怒鳴られる日々が続きます。

そんな私を見て、他の社員も私に対して
冷たい態度を取る様になり、
全員から軽く扱われているのが分かりました。

ある日、総合職の1人が
異動になった際は、
二次会で1時間程ひたすら
罵られるということもありました。

毎日、嫌悪感を剥き出しにして
怒られるので、相談が必要な際も、
顔を見た瞬間身体が硬直して
うまく喋ることができなくなります。

そして、それが余計に怒りに
火をつけて、怒鳴られるという
悪循環を繰り返す様になります。

【結婚、長男の誕生、しかし生まれたばかりの子供との時間も堪能できない日々】

この頃、私は結婚をしました。

内向的で、昔から女性に積極的に
なれない私は、きっと結婚なんて
できないのではないかと思っていました。

両親にもずいぶん心配を
かけていたものです。

しかし、妻との間に長男も誕生して
私は幸せの絶頂にいるはずでした。
朝、会社に行く前に朝食を
食べていると、
長男が寝室から覚えたばかりの
よちよち歩きで自分の足元まで来て、
椅子に捕まりながら「ニヤっ」と笑うのです。

今考えれば可愛くて仕方がない
状況です。

しかし、当時の私は会社に
行くのが不安で仕方がなく、
そんな幸せな状況を感じる余裕が
なかったのです。

湧き上がってくる愛情を敢えて
見ないようにして、会社での
辛い出来事に耐えるための心の
準備をしなければなりませんでした。

【「優秀」な社員と評価されるも「大人しい」せいで今ひとつ評価が上がらない」】

大阪では苦しい思いをしながらも、
そこで鍛えていただいたおかげもあり、
次の赴任先では早々に
「優秀な社員だ」
という評価を得ることができます。

周りの社員からもの扱いも以前とは
異なり、私はこのまま良い流れに乗って
出世できるんじゃないかと考えていました。

しかし、ここでまた壁に突き当たります。

仕事の内容に関しては
課長から評価を得られるものの、
部内で同期と順位付けをされる際は、
普段一緒に仕事を
していない人達から評価されることとなります。

そうすると大人しい私は、
順位が上がらないのです。

【あがり症に苦しみ、リーダーシップを発揮しきれないことに悶々とする日々】

「もっと外向的に
 ならなければいけない」
と再び思い出した私は、
そう振る舞おうと努力します。

朝礼や会議でも流暢にペラペラと喋る、
または熱を込めて滔々と語る先輩方や
課長、部長を見て、同じ様にしようとします。

しかし、これまで事務的に
何かを読み上げるだけであれば
良かったのですが、
自分の言葉で語ろうとすると
途端に緊張が強くなり、
逆にうまく話せなくなってしまいます。

当時20名程度の小さな部署でしたが、
緊張して言いたいことの半分も言えない
状況に悶々としました。

会議でも、色々と考えて参加しても、
やはり緊張して2、3割のことしか
言えないまま終わってしまいます。

私はあがり症に苦しむ様になりました。

【あまりの緊張にお腹が痛いふりをして、直前にトイレに駆け込む】

ある日は、本部に付き添って
他の部署の点検に行ったのですが、
そこで最後に講評として順番に

担当した部分を発表していく
ことがありました。

その時、直前まで何とも
なかったのですが、
順番が近づくにつれて緊張してきて
心臓がバクバクいい、
手足に冷たい汗が滲んで
ガタガタ震えて止まらなくなってしまいました。

このままでは話せないと思った私は、
自分の番になった時に
「ちょっとトイレに行きたくて・・・」
とお腹が痛いふりをしてトレイに駆け込みました。

そこで深呼吸をしたり、
空手の型をして緊張なんかしない自分を
イメージしたりしたのですが、

トイレを出ようとすると再び緊張に襲われます。

思い切って会議室まで小走りで行き
「いやあ、すいません」
という感じで、
勢いで話し始めたところ、
何とか最後まで話し終えることができました。

しかし、何名かは私が緊張して
トイレに駆け込んだだけだということに
薄々気づいており、
私は情けない気持ちでいっぱいでした。

【まさかの営業部門への異動・何を話せば良いかわからず営業先へ入るのを躊躇する日々】

そんな中、自分が最も恐れていた
事態が起こります。

実は会社が吸収合併されたのですが、
人事の考え方が大きく変わり、
色んな部門間での人勢交流を
活発にしようという流れになりました。

そして、営業部門へ
異動になってしまったのです。

私が担当したのは自動車ディーラーを
訪問して保険の販売を指導管理する
という業務です。

事故対応と異なり、
いきなり仕事の話をしても嫌われます。

最初に仲良くなる必要がありました。

しかし、事務所で仕事をしている
営業マンや店長を捕まえて、
話しかけるというのが
私には難しく感じられました。

つい、相手の顔色を見て
「忙しそうなのに
 話しかけたら迷惑かな…」
と遠慮してしまうのです。

それでも勇気を出して
話しかけてみると、
笑顔で応じてくれる人もいれば、
一言で終わってしまい、
会話にならない人もいました。

その姿を店長や他の営業マンに
見られるのが、また恥ずかしく感じ、
私は顔を真っ赤にしながら
冷や汗をかきながら恐る恐る声をかけていくのでした。

話しかけても、途中で客先から
電話が掛かってきて中断することもあり、
バツが悪く感じることも多々ありました。

【上司からのパワハラ、下位職からの突き上げに遭う】

そんな状態だったため、
当然1年目の営業成績は振るわず、
私は上司から叱責を
受けることになります。

当時の課長は瞬間湯沸かし器の様に
激昂する人で、毎朝出社してすぐに3
0分程つかまります。

当時フロアには、
他の部署の人も合わせて
60人くらいがいました。

そのフロア中に響くような怒鳴り声で、
机を蹴り上げながら叱責を受けるような
状態で、他の人達の目も気になる私には
非常に苦痛でした。

その後、外出して帰社すると、
今後は次席者からつかまります。

次席者は逆にネチネチと問い詰めてくるタイプで、
何を答えても「それで?」「どう思う?」
とこちらを見ずにひたすら追求してきます。

そして、必ずどこからでキレて、
最終的に怒鳴られるという感じです。

上司だけではありません。

下位職からも突き上げに遭いました。

2年目、3年目の若い社員でも
営業歴では私より上ですし、
彼女達は自然と人と会話ができる
タイプばかりでした。

そんな彼女達が私のあり様を見て、
嫌味な態度や言葉を投げかけてくる
ことがあったのです。

【声が出なくなる】

そうした状況が続く中、
私の身体に異変があります。

もともと声が大きい方では
ないのですが、
声が喉に詰まって出なくなってしまうのです。

息だけの様な声しか出なくなり、
話そうとすると声が出るかどうかが
心配で、余計に身体に力が入り
声が出にくくなります。

そして、声を出そうと意識すると、
話す内容に集中できないため、
一言で済むような説明しかできなくなってしまいます。

自分の身体なのに
自分のものでは無いような感覚でした。

更に、この声のことを周りが
馬鹿にするのです。

飲み会などでわざと挨拶を
振ったりして、
私が話し始めると
「え!?」「聞こえない!?」
と笑いながらからかってくるのです。

私は声が出なくて苦しんでいるのに、
それを笑われたことに正直腹が立ちました。

しかし、そのこともはっきりと言う事が
できず、愛想笑いでごまかすことしか
できませんでした。

【あまりの情けなさに公園で涙を乾かして帰宅する日々】

そういった状況に、
最初は「悔しい」気持ちでいっぱいでした。

しかし、徐々に気力が失せていき、
「情けない」という気持ちが
支配的になってきます。

そして、あまりの情けなさに、
帰宅途中に涙をこらえることが
できなくなり、
人気のない道を泣きながら歩き、
公園で涙を乾かしてから帰る
ということが度々ありました。

 

【更なる追い討ち・次男の発達障害が発覚】

そんな私に追い打ちをかけるように、
次男の発達障害が発覚します。

幼稚園の先生から、
他の子と比べて様子がおかしい
という話を受けて
病院で検査を受けると
軽度の発達障害であることが分かりました。

病気ではないため治療もできず、
他の子と同じ様になることはできない
という事実を知り、愕然としました。

それからというもの、
妻が度々次男を抱きながら泣く姿を
目にするようになります。

会社の帰宅途中に自分が涙を流し、
帰宅すると妻が泣いている姿を見て胸が痛くなり、
子供の顔を見ては悲しい気持ちになる
という苦しい時期でした。

子供のことに折り合いをつけるには、
これからまだまだ時間がかかります。

【念願叶い元の部門へ返り咲くも、引っ込み思案により自分の力を発揮できない】

1年目の終わりに、元の部門への異動を
打診していた私は、
念願かなって戻ることができます。

「これでやっと自分の
 好きな仕事ができる」
と嬉しく感じ、
私は希望で胸を膨らませました。

しかし、私は会社が吸収されて
すぐに営業へ異動したため、
新しいシステムや体制のことが
全く分かりませんでした。

そのため、新人の様な仕事から
スタートすることになり、
主幹業務に関わることができませんでした。

それでも、課の運営を見ながら、
自分なりに考えることはありました。

それを実践していきたい
と思いながらも、
言い出すことができません。

今の自分は仕事を覚えている段階で、
課の運営に口を出す権利は無いと、
勝手に遠慮して発言を控えてしまうのです。

そして、単純な個別案件の対応に
終始し、マネジメントに入る機会を
失います。

【周りに都合良く利用され、本当にやりたい仕事に関われない】

私は一応マネジメントを行う
人員の1人でもありながら、
個別案件の対応を行うという
微妙な立場に置かれていました。

とにかく自分の力を発揮したい
と思っていた私は、要請があれば
とにかく引き受けていきます。

しかし、そうしていく内に、
マネジメント層からも
様々な要請を受け、
マネジメント層が知らないうちに
担当者層からも色んな要請を
受けることとなります。

マネジメント層も担当者層も
自分たちの業務を円滑に回していく
ために、
スポットで私に色んな仕事を
依頼してくるようになったのです。

私は双方から引っ張られる形で
業務が膨れあがりました。

しかし、双方とも自分達の
依頼した仕事しか把握しておらず、
私もアピールができないため、
私の業務量を把握している人はいない状態でした。

そうして下請け仕事に
振り回されながら、
私は自分がやりたかったマネジメント
から益々離れていくこととなります。

【考えがあるのに会議で発信できず、自分に存在意義を見いだせないで苦しむ】

そして気が付けば、働き方改革により
総合職だけではなく従来の一般職、
専門職もマネジメントに
参入することになり、私の入る隙は
益々少なくなっていきました。

私が個別案件と下請け仕事に
振り回されている間に、
彼ら(彼女ら)はどんどん
ポジションをつかんでいったのです。

私も自分のポジションを
何とか得ようと、
課の課題等を色々と考えました。

私は原因を分析するのも、
改善のための施策を考えるのも
得意だったので、
アイディアはありました。

正直、会議で一般職や専門職が
話している内容よりも、
断然自信がありました。

しかし、それを発言する
勇気がでないのです。

また、仕事を任せてもらえば、
具体的に遂行していく
品質には自信がありました。

しかし、重要な仕事はこぞって
周りが獲ってしまいます。

「良い考えもあるし、
 絶対いい仕事ができるのに・・・」
そう思いながら、
歯がゆい気持ちでいっぱいになりました。

【抑うつ状態が続き、ストレスによる体重増、吹き出物、上司や同僚との人間関係の悪化】

私は自分の内向的な性格を
恨めしく思いました。

そして抑うつ状態が続き、
毎週ランニングや筋トレを
欠かさないにも関わらず
体重が5㌔増加し、
顔は吹き出物だらけになります。

寝ても覚めても悶々とした状態が続き、
その矛先を上司や、仕事を振ってくる
同僚達に向けました。

そうは言っても、本人達へ
はっきりと自分の考えを言えない私は、
単純に冷たい態度をとることで
あわよくば察してくれることを期待しました。

しかし、そんな都合よく
察してくれること等あるわけがなく、
ただし、私の悪態は感じていたらしく、
上司や同僚からの態度が
単に冷たくなってしまうだけでした。

【心理学との出会い・初めてのカウンセリングでみるみるうちに悪感情が薄まる】

私はこれまでも自分を変えたい一心から
自己啓発本を浴びるように読んでいたのですが、
その中の一環として、
私は心理学を学び始めました。

当初は、心理テクニック的なものを
仕入れるだけだったのですが、
その中で、ある心理系ビジネスの
コミュニティのことを知ります。

ビジネスをするつもりはなかった
のですが、

そこではビジネスを行うために
メンタルを改善することを
重要視しているとのことで、
今の仕事にもきっと役に立つと思ったのです。

これまでの自己啓発本を購入する
費用とは比べ物にならない費用
でしたが、
私は全く迷いがありませんでした。

そして、そこで自己啓発で
言われている内容とは別物の、
人が本当に望む結果を得るための
心理学を学び始めました。

この心理学の効果は大きく、
私は自分をありのままに
見ることができる様になり、
悪感情が和らいでいくのが分かりました。

そして、これまでは
「精神疾患の人が受けるもの」
というイメージがあって
敬遠していたカウンセリングを
受けることとなります。

このカウンセリングで、
もちろんカウンセラーの
腕が素晴らしかったのもありますが、
私は憑き物がとれたかのように
感覚が変化する経験をしました。

私には全く見えなかったものが
カウンセラーの支援によって
見えるようになり、
自分が上手く運ばれなかった
原因が分かったのです。

【自分を「変える」のではなく自分に「帰る」・「自分はこれで良いんだ」という感覚】

心理学を学んで最も大きく
変化したのは、
これまで兄であったり
中学の同級生であったり
自分とは対極いる性質の人達に対する
執着がなくなったことです。

これまで、
「外向的になりたい」「強くなりたい」
と「自分を変えよう」としてきました。

しかし、内向的な性格や
自分の得手不得手は
遺伝的な要素も大きくかかわっていて
簡単には変わらないことを学びました。

それにも関わらず、
一生懸命に自分の資質とは逆方向に
進もうとしていた私は、
まさにブレーキを精一杯に踏みながら
アクセルを踏み込んでいる状態でした。

そうではなく、自分の資質を
伸ばす方向に集中すれば、
楽に楽しく力が発揮できる
ことに気付いたのです。

心理学を学び始めた時に
「自己受容」
という言葉をよく聞きました。

「自分はこれで良いんだ」
という感覚を持つことです。

私は当初、これを頭で理解できても
感覚として理解することが
全くできませんでした。

しかし、自分の資質について
理解を深めていくにつれて、
「欠点」も「長所」に変わっていく
ということを感じ、
自然と「自分はこれで良いんだ」
という感覚が腑に落ちたのです。

【職場で自然体で過ごせるようになり、資質を活かした仕事で楽に楽しく成果が出せる】

自己理解を深め、資質を活かすことを
探求し始めた私は、これまでのように
外向的になる努力を止め、
自分の資質を活かした仕事をしていくようにしました。

内向的な私はたくさんの刺激
がある状況は苦手ですが、
一人で黙々と作業することは得意で、
更に物事の原因を分析するのは
自然とできました。

また、大勢の人と会議等で
会話するのは不得手ですが
11で親密性を高めることは得意でした。

そういった資質を活かして、
まず苦情対応に精を出しました。

私は持ち前の穏やかさや誠実な雰囲気、
親密性を高めることが得意だったので、
どれだけ怒っている人や
クレーマーであっても
私が対応すると納得してもらうことが
できました。

また、本質的な原因が見えるため、
その改善策も本質的なものができます。

そして、原因分析が得意な資質
を活かして、
お客様対応が苦手な担当者に対する
コーチングを行いました。

ここでも私の穏やかさや誠実な雰囲気、
親密性が活かされ、
普段人の話を聞かない担当者であっても
私のアドバイスには耳を傾けてくれます。

そして、前向きに取り組んでくれた
担当者はNPS90ポイントを達成する
ことになります。

課のマネジメントに関しても、
考えることが得意なので、
メールで文書にまとめるなどして
露出を高めていくことで
伝えることができるようになりました。

こうして、これまでとは違い
自然体で楽しく仕事で成果を出すことが
できるようになったのです。

【職場での人間関係、家族との関係が改善し朝目覚めるのが楽しみにな状態へ】

自然体で過ごせるようになった私は、
職場の同僚とも自然に会話することが
できる様になりました。

そして、気持ちに余裕が
でてきたことで、
同僚を頼ったり甘えるという行為も
自然にできる様になってきました。

これまでは絶対に自分で
やらなければならない
と思って一人で抱え込んでいたことも、
同僚に聞いたり依頼をすることで
更に職場での仕事が楽になってきます。

そして、身体の緊張が緩和したせいか、
長年悩んでいた腰痛や肩コリすら
緩和していることに気付きました。

毎日、仕事のことを考えて楽しい
気持ちになり、日曜日の夜も翌日が
楽しみに感じることが
できるようになったのです。

そうすると不思議と家族に対しても
感謝の気持ちや愛情も素直に感じる
ことができるようになり、
自分から家事を手伝ってみたり、
洗い物を済ませておいたり、
マッサージをしてあげたりと、
家庭内の関係性も劇的に改善していきました。

【自分と同じ感覚を人にお渡ししたいと思い、カウンセラーを目指す】

自分の感覚が変わった私は
資質を理解していくにつれて、
同じ悩みをもっている人達を
救う資質をもっていることを確信します。

そして、それが自分の天命だと
信じるようになり、
初めてのカウンセリングを
受けたカウンセラーに、
心理学の教えを乞うために
コンタクトを取りました。

そこには私と同じく、
そのカウンセラーに
救われた人達も集まっていて、
そこで仲間とともにカウンセラーを
目指して学ぶこととなります。

【ヒプノセラピーとの出会いにより、しっかりと癒しながら確実に変化できる独自のメソッドを確立】

カウンセラーを志した頃、私の周りでは
「心理学を学んでいるのに変われない」
「原因は分かったけどどうすれば良いか分からない」
という人が多く見受けられました。

私自身も、実はこの頃
「リバウンド」
を経験します

一旦改善したメンタルが
また悪化してしまったように
感じたのです。

そこで更に色んな心理学を
学んでいく中で、
これは「潜在意識」が関係している
といことを学びます。

小さな頃から長い年数をかけて
築いてきた信念というものは、
表面的な学びだけでは変化せず、
変化しようとしても変化を拒む
という性質があるのです。

そして、その潜在意識を
変化させるための手法として
最も有効なヒプノセラピーについても
学んでいきました。

このセラピーをコミュニティの
仲間に提供したところ、大変好評で、
私はカウンセリングのスキルと
ヒプノセラピーを組み合わせたうえで、
これまで学んできたことを体系化したメソッドを確立しました。

【内向型HSP、アダルトチルドレンでも自分を取り戻して、朝目覚めるのが楽しみな世界を】

・人といるだけで疲れてしまう。
・自分の考えを言えずに自分の望む
 人間関係や結果を得ることができない。
・複数の人との会話が苦手で
 自分にコンプレックスを感じる。
・緊張や不安に苛まれて人生を楽しめない。

この様な症状をもつ方が、
・自分の資質を理解することで
 欠点が自然と長所になる
・「自分はこれで良いんだ」と
 心から思えるようになる
・コンプレックスが無くなり、
 自然体で人と付き合い、
 仕事で成果を出すことができる
・職場の同僚やパートナーとの人間関係が改善する

こういった状態を実現する
「ヒプノカウンセリング」
を提供しています。

気になられた方は是非、
一度ご連絡をください。

あなたとお話しできることを
楽しみにしています。